ルヴァン美術館
ルヴァン美術館
和歌山県出身者で一番の有名な建築家といっても過言ではない西村伊作を取り上げるとき、欠くことのできないのが文化学院である。その学院の最初の建物を復元したのが、このルヴァン美術館である。そこで、軽井沢に赴き、ルヴァン美術館を見学したうえで同館副館長の木田(旧姓坂倉)三保氏にいろいろと話をお伺いした。
彼女の父親は、20世紀最高の建築家の一人であるル・コルビュジェに師事し、神奈川県立美術館など多くの質の高い作品を残した建築家の坂倉準三で、母親は西村伊作の娘であるから、西村伊作の孫ということになる。
木田副館長はこのように私たちに話してくれた。文化学院は東京の駿河台に1921年に西村伊作が創立した学校である。西村が文化学院を創立することを与謝野晶子たちと話したのが軽井沢である。ここ軽井沢は文化学院ゆかりの地である。
文化学院は芸術を中心に据えた教育を行っていて、一流の芸術家が講師を務めていた。3年ほど前に所有者が変わり、ダンス・声楽なんかを入れて、今の文化学院は私たちの中にある文化学院とは少し違う気がする。その当時の講師などの作品を展示する美術館として創立時の文化学院を1997年に再現した。その文化学院は、西村伊作が設計したものであるがすぐに関東大震災で焼失してしまったので写真や西村の絵などから再現したとの話であった。
ルヴァン美術館は、コテージ風に大きな破風とフレンチウインドウを持ち、暖炉が設えられ、外には煙突がつき出ている(写真1)。さらに玄関部分の屋根には風見鶏(写真2)が取り付けられ、私たちが思い浮かべる昔の学校建築とは全く違っている。元々は2階建てであったが、美術館ということで2階の床を設けずに天井の高い平屋として再現されている。同じ頃に造られたフランク・ロイド・ライトの自由学園明日館を見たときと同じ何か温かいものを感じた。軽井沢は樹木が多く、このことが種々様々な建物が存在しながらも、その冷涼な気候とともに一定の雰囲気を醸し出している。うぐいすがあちらこちらで鳴き、突き抜けるような青空が広がっていた。そんな中にこの建物は非常に似つかわしく建っていた。
文化学院を創立したそのメンバーの一人であり、講師も務めた与謝野晶子の「紅の薔薇のかさねの唇に霊の香のなき歌のせますな」という歌にちなみ、建物の周りに薔薇を植えていて、これは当然文化学院校舎時代には無かったものであるという話であったが、この建物にとてもよく似合っていた。
木田氏によると、昔は東京から軽井沢に汽車で来ると、冷房の無かった時代であったから、一駅ごとにひんやりした風が感じられて、とてもよかった。軽井沢で歩いていると前から川端康成さんが来たりした。そんな場所が軽井沢であった。今はすっかり変わってしまったけれども。そんな昔の空気を感じるためにも是非見ておくといいと言って下さったので、西村一族が所有する別荘を見に行くと、大きな敷地に7棟の別荘が中央の大きな広場を取り囲むように建っている。これらは一族みんなで使っているということであった。
また、別荘の管理している女性の方によると、明日は何々さんが来られて、次にはシアトルに住んでいる(西村伊作の娘さんの)何々さんがいらっしゃって9月まで滞在することになっていますと言っていた。
西村伊作は、建築家として誰かに学んだわけではなく海外の雑誌等から独学したそうである。絵画にしても、陶芸にしても同様であったそうである。しかし、生活者として、著書「楽しき住家」を実践した人であり、家族を大事にし、家庭生活を大事にし、友人を大事にし、その家にはいつも文化人など友人が多く集まっていたという。
そういうものが現在の建築家とは全く違う建築に対するアプローチを生み、スタイル(様式)とかディテールとかではもちろん無く、また使い勝手とか機能というのとも少し違っていて、生活(西村伊作にとっては芸術と等価であったかもしれない)とか優しい気持ちとか文化というものから作られた建築であるように感じた。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの住宅建築に少し雰囲気が似ている気がした。ヴォーリズ建築をもっとさらりとさせたような感じである。こういうアプローチで心地よい建築に何かやすやすと到達している。ただ、建築家としては新たな地平を切り開くタイプではなかったようである。それは娘婿の坂倉準三にゆずったのであろうか。
また、西村は、大逆事件に連座して処刑された医師大石誠之助を叔父に持ち、また縁の深い人としては、文学者の佐藤春夫がおり、新宮中学校から文化学院に学び後に文化学院の講師も務め、日本のモダンアートの先駆者である画家の村井正誠など、当時の新宮には並の地方都市にはない何か新しい風が吹いていたのだろうか。現在の新宮からも、中上健次の小説の新宮からも全く違っている。
こういう話の中に、日本の上流階級の上質な部分を感じた。そういうものが現在も生きていることにある種の驚きを感じた。私たちとの接点が非常に少ないからであろうか、そういうものに少しでも触れることができただけでも今回の取材は価値のあるものであった。
その上で、改めて建物を見ると何か違ったものが見えるような気がした。大正の自由な空気が軽井沢のこの地に吹いているような気分になった。
最後にルヴァンとはフランス語で「風」という意味で、西村伊作が活躍した大正の風が現代にも吹くようにと願って名付けたとのことであった。
所在地 長野県北佐久郡軽井沢町長倉957-10
出版委員 中西達彦