若竹の里
若竹の園
「一棟を小さくし、バンガローやコテージ様式を取り入れたものがよい。簡素なものは美しく楽しい、少し華著な方が優美だ。庭園を重視し、全体が森の中にあるようにしたい」
取材を終えてから知ったこの文面。これは西村が教育施設の理想像として掲げたテーマであったそうだ。その言葉を裏付けるように建物は豊かな表情を見せてくれた。
美観地区にある大原美術館のすぐ裏に立地する日本最古の保育園である。前進は倉敷の名士、大原孫三郎婦人寿恵子が中心となり倉敷紡績株式会社社員の婦人らと共に設立した「倉敷さつき會」である。大正14年開園以来今日まで84年もの間、子供達の園として活気に満ちた時間が流れ続けている。倉敷教会設計で交流を深めた大原氏らと西村は後にこの施設の設計に携わることになる。西村がこの建物の設計を終えたのは大正12年。独自の教育で知られ、文化学院を創設した教育家でもあり、教育施設の設計に対する思いはひとかたならぬものであったであろう。
ロッジ風の急勾配の屋根は西村作品の特徴の一つと言えるであろう。庭には大きく成長した木が生い茂り、それらを取り囲むように立派な遊具が配置されている。校舎の2階には通称「十字の間」と呼ばれる部屋がある。部屋の四方に押入れが配置された和室空間。キリスト教信者であった西村のメッセージを感じる空間である。平屋の教室では急勾配の屋根を生かし高い天井空間が広がる。漆喰で塗られた白い天井には梁が露出しておりバンガロー風の建築思潮を感じる。施設には西村による家具も残っている。幼児のスケールに合わせたかわいい椅子や机が残されており現在もなお愛用されている。
現在の姿は竣工当初とは多少違う。庭を囲むように分棟配置された小さい棟は風雨をしのぐため廊下で繋がれ、庭にあった小川も今では運動場としてより広く活用されている。長い年月を経て、元設計を損なうことなく巧みに改修されてきたこの施設だが、今も当時の姿をそのまま残しているエントランス。そしてエントランスすぐの床のフロア材も竣工当初のままだそうだ。うたがいたくなるほど美しく手入れされた床材。これらから、この施設に携わった方々の施設への愛着がただならぬものであることがよく分かる。
大切に長い年月愛用された建物は教育思想にも大きく影響しているようだ。そこには大原氏の育児に対する暖かい志と西村の教育に対する強い信念が根底にあることは言うまでもない。この先も多くの子供達にとって格別の時間を過ごす場として利用され続けるであろう。
取材当日も日曜保育に来ていた元気な子供達の声と先生方の温かいふるまいが、園内のどこにいても垣間見られた。
所在地 岡山県倉敷市中央1丁目
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情報・出版委員 東端 秀典