JR紀勢線 那智駅舎

那智駅舎

 

修正1 和歌山県近代化遺産の中の駅とその周辺の紹介をしたいと思います。
まずは和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある「那智駅」からスタートします。

 国道24号線を右折すると鮮やかな朱色に塗られた那智駅が目にはいります。
この駅は、昭和971日に民営鉄道だった新宮鉄道が紀勢中線として国有化されたことを受けて行われた鉄道施設の改良計画の中で、鉄道省によって建設されました。

 昭和1012月に竣工した駅舎で、那智大社を模した社殿風の朱塗りの外観となっており、正面の入母屋作りの屋根に神社建築に見られる千鳥破風が設けられ、軒先は反りを持たした形状の堂々たる風貌で、数ある駅舎の中でも屈指の風格を持った駅舎であろうことを想像されます。当時は、多くの那智参詣や観光客の玄関口として賑わったことでしょう。今は、無人駅で私達が行ったときもひっそりとしてがらんどうのさびしい雰囲気でした。2010年の記録をみますと73人/日の乗車人員とのことです。

待合 待合室は腰壁を水平目地が見受けられるドイツ下見で施されています。そこを通り抜けてプラットホームに出ると向いのプラットホームの背後には那智海水浴場(ブルービーチ那智)が見えます。地下道を通り抜け向いのプラットホームから駅舎を振り返ると、切妻破風の和風意匠が目に入ります。

 駅の隣接には平成108月には那智勝浦町営の那智駅交流センターが増築されました。

 1階は世界遺産である「熊野古道」に因んだ展示があり、2階には町営温泉の「丹敷の湯」が設けられ、やや活況を取り戻しつつあるとのことです。椅子

 尚、駅前には「山口熊野頌徳碑」が建立されています。山口熊野(やまぐち やゆ、1864年~1950年)は和歌山県県議会議員を経て1898年(明治31年)に衆議院議員に当選、国会で紀勢本線の建設の提案を行い、1920年(大正9年)紀勢西線建設の決定までこぎつけた紀勢本線開通の功労者である。

 尚、この駅舎は、国土交通省近畿運輸局管内の「近畿の駅100選」の第二回認定駅のひとつに選ばれています。

那智の滝 那智駅舎を後にし、那智の大滝に向かいました。那智駅に向かう道沿いをぼんやりと見ながら走っていますと台風12号の被害があまり感じられなかったのですが、那智川に沿って見る景色には水害の爪痕がはっきりとわかり、被害のすさまじさを想像することになりました。那智の大滝は見慣れた壮大な姿が変わりなく見ることができましたが、一方滝壺から下流に目を移すと、大きな岩の転がる中で災害復旧の重機が何台も稼働し、懸命の作業が続けられていました。遠方で生活している私達には時間とともに台風12号の被害が記憶からうすれがちですが、地元はまだまだこれからというのが実感されました。

 同じ和歌山県民として、機会があれば一人でも多く紀南地方に足を運びことが、元気を取り戻すことにつながると感じました。

 朝早くから夜遅くまでの取材で長い一日でしたが、こころに残る一日となりました。

【会報誌きのくにH25年5月号掲載】

情報・出版委員 大前 高志

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