南海高野線 学文路(かむろ)駅舎

学文路(かむろ)駅舎

  大正13年(1924年)

  構造 木造平屋建

 

gaku1 前回の九度山駅舎に続き今回は学文路駅舎を中心にご紹介します。九度山駅、学文路駅、紀伊清水駅はいずれも大正13年に開設され現在も当時のままの駅舎の状態で利用されています。外見的特徴は同時期に建設された三駅に共通する部分も多く、外壁は柱型付下見張で構成され屋根は木造トラスとやや細身の方杖により構成されています。中でも学文路駅の特徴は母屋桁を支える方杖で、緩やかな曲面をもった方杖は軒下空間の緩和措置として効果しており訪れる人を優しく出迎えてくれる印象を持ちます。駅舎としての最小限の機能を簡潔にまとめ上げられ、その洗練された雰囲気は現在も感じ取ることができます。駅舎は高台に存在し国道からは斜めに延びる特徴的な階段の先に立地します。眼下には悠々と流れる紀ノ川を望むことができ古くから宿場町として栄えたこの地の重要な交通拠点です。

  駅舎より北方面にあるのは学問の神様で有名な学文路天満宮。周囲は深い山々で囲まれ、道幅が狭く起伏のある道を進んだ先にあります。まるで訪れる者を試すかのような存在です。gaku3 (1)

高野街道沿いに存在し歴史の舞台としても多く登場します。

  学文路駅を後に向かったのは慈尊院。本堂である弥勒堂は世界遺産のひとつとして認定されています。空海が高野山を開いた頃、女人禁制であったため多くの女性信者がこのお寺を信仰しました。空海の母、玉依御前が息子の開いた高野を見ようと四国より訪れこのお寺に滞在しました。空海は月に9回も母に会いにこのお寺を訪れたそうです。それに由来しこの地域を九度山と名付けたそうです。慈尊院の南側、長い階段を上った所に丹生官省符神社にうかんしょうふじんじゃがあります。こちらの本殿も慈尊院同様世界遺産に認定されています。

gaku3 (2)  本取材で訪れた九度山周辺は豊かな自然と高野山を背景に歴史の舞台としても名高く、古くから人の交通要所であったことを察します。大正13年に開設された学文路駅を特急“こうや”が颯爽と走り抜ける光景は印象的で南海高野線が高野信仰への重要な手段であったとこは当然のこと、関西の主要な都市である難波と伊都地方を繋ぐライフラインとして重要な位置づけにあることを感じました。

 【会報誌きのくにH25年7月号掲載】

情報・出版委員 東端秀典

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