JR紀伊田辺駅
ーJR紀伊田辺駅ー
今回はJR紀勢本線「紀伊田辺駅」を紹介します。紀伊田辺駅は平成の大合併(2005年)で和歌山県の4分の1近くという広い面積を持つ田辺市の中心地に位置します。特急くろしおを含むすべての定期列車が停車し、1日約3000人の利用があります。紀南にも鉄道を、という声が上がったのは、明治大水害(1889年)で道路網が寸断されて救援物資が届かず、多くの餓死者を出したことがきっかけと言われています。当時は「サル乗せて いくか熊野の 汽車の旅」といって反対する声もあったそうですが、念願の駅舎が昭和7年(1932年)11月に完成、紀勢西線が南部駅より南へ延伸し、終着駅として紀伊田辺駅が開業しました。開業を祝い特別に発行されたと思われる冊子には、駅舎竣工に携わった人々や田辺にゆかりのある人々の名が連なり、汽車が通うようになった喜びはかなりのものだったことが伺えます。開通式に大勢の人々がお祝いに駆けつけた駅前の広場は、1971年黒潮国体の際に大規模改修が行われ弁慶像が新設されました。そして昨年、2015年開催の紀の国わかやま国体を前に路線バスや高速バスのターミナル、駐車場、タクシー乗り場が再整備され、駅舎隣には田辺市内のまち歩きや熊野古道観光の拠点となる田辺市観光センターがオープンしました。「紀南の玄関口」である紀伊田辺駅前はとても綺麗に、便利になっています。駅舎はドーマーが付いた赤い三角屋根が特徴的な洋風建築です。竣工当時の写真と比べてみても入り口庇の格好が違っていたり屋根が水色だったこともあるようですが、縦長の窓の上部のレリーフなど「スマートな白亜の建物」と呼ばれた竣工当時のままの部分が多く残っています。駅舎内に入るとその天井の高さに木造の建物であること、また80年前の建物であることを忘れそうになります。ホーム内には田辺三偉人の世界的な博物学者「南方熊楠」、合気道の創始者「植芝盛平」、歴史上の豪傑「武蔵坊弁慶」を始め、田辺市にゆかりある偉人たちを紹介するパネルや、島式ホームの2・3番線へ連絡する跨線橋内にも熊野古道の参道をイメージした内装が施され、駅を利用する人々が楽しめるよう工夫がされています。
駅構内の総坪数は一万坪と言われ、多くの留置線があり折り返しが可能です。跨線橋の窓より何本ものレールをじっくり眺めながら、「和歌山・大阪へ行ける」「ここから文化の波が流れ出す」と喜び、それまでの駅にはない待合室や荷物台に心ときめかせた80年前を想像しました。すっかり車社会になった現在ですが、80年の時を経ても人々と紀南をつなぐ拠点です。これからの時代も田辺や熊野古道を訪れる人、田辺から各地へ出向く人を見守る存在であり続けて欲しいと思いました。
【会報誌きのくにH25年12月号掲載】
情報・出版委員会 三木早也佳