不老橋・三段橋と和歌浦
■ 三段橋 1653年
和歌浦は和歌山市内でも数少ない景観の優れた地域であることは既知の事実である。水辺の名勝地として万葉集にも詠まれた景観を持つ場所である。歴史に関わりが深く、大きく広がる海と山を背に長きに渡って訪れた多くの人々を魅了してきた。
和歌浦を構成する要素は多く、玉津島神社、塩竈神社、紀州東照宮、海禅院・観海閣、海禅院・多宝塔、鏡山、妹背山、水平線に伸びる干潟。いずれも歴史が古くそして文字通り歴史と自然が生み出す地域である。
そんな和歌浦において不老橋の存在は大きい。徳川家康を祀る和歌祭の際、関係者を片男波近くにあった御旅所に向かうために通行する“お成り道”に架けられた橋である。なんといってもその形は独特で江戸時代にしては珍しくアーチ型石橋で構成される。材料となった石は和歌山城の石垣でも利用された和泉砂岩が利用されており、肥後熊本の石工集団によってアーチ部分が構成されたと推定されている。この橋は鏡山の山頂からも、妹背山からも、多宝塔からも望むことができどの角度からも眺めてもその造形美は賛美に値する。
また、不老橋同様、和歌浦に石材で作られたもう一つの橋が三段橋である。妹背山に延びて架けられた橋で県内最古の石橋で、材料は不老橋同様和泉砂岩で構築されている。幾度か修復をしながらも400年あまりその原型を失わずに存在している。橋の先にある多宝塔と観海閣、その存在は道路側から伺うことができないが訪れた者を感服させる空間を持っている。
二つの橋は長い歴史の中で多くの人々を運ぶ架け橋になったことは言うまでもない。時を経て、和歌浦も少しではあるが様変わりをした。和歌浦アートキューブの誕生は今後の公営施設のあり方を記した道標となり、また、歴史のある地域の中での建築デザインという難題を上手く解いた例でもあると言えるのではないか。
これからの都市計画を考える上で歴史的建造物の保存論を“歴史的に”という観点から述べるのはいささか単調過ぎるのではないだろうか。保存に着目することは当然大切ではあるが、運用を含めた計画を見直す必要がある。よって、この和歌浦においても各々の要素を結び付けられるような運用を考える必要があると思われ、それは長い時間人々を運ぶ架け橋をしてきた二つの橋を未来にどう架け渡すのかという命題と同じ意味を抱腹していると思われる。
【会報誌きのくにH26年3月号掲載】
情報・出版委員 東端秀典