濱口家住宅Ⅱ<本宅・本座敷・三階建座敷>

                     濱口家住宅Ⅱ <本宅・本座敷・三階建座敷>

■ 本宅     木造厨子2階建  1707年竣工
■ 本座敷    木造平屋建    1820年竣工
■ 三階建座敷  木造3階建    1908年竣工

前回は庭を中心に外部と建物との関係を探った濱口家、今回はその内部についてご紹介します。  先月も述べたように、この住宅の敷地には主に3つの建物とそれらを囲むように広い庭で構成されます。一番古い本宅が建造されたのが宝永4年(約300年前)。本瓦葺き屋根、間口5間、奥行4間、1間半の土間を備えたつし二階建ての木造住宅。120年ほど後に建築されたのが本座敷。本瓦葺き、入母屋で門と玄関を備え茶室・仏間・座敷の3つが直列する平面構成をとっています。そして、3つの建物で一番最後(明治末期)に建造され、主に接客に重点を置いて建てられたのが木造3階建ての座敷です。

 いずれの建物も立派な材料と職人の崇高な技術で構成された非常に立派な木造建築です。中でも今回は明治末期に建造された三階建座敷の内部について述べたいと思います。  この屋敷で最後に建設された3階建座敷には実に多くの仕掛けと工夫が作り込まれています。特に接客空間として誂えられた3階に様々な特徴を見いだすことができます。海への眺望をよりすばらしいものにするために北・南・西面が全て建具で構成され、中でも海に面した西側の眺望をより広く確保するために戸袋が2階部分まで降りるように造られています。13階の座敷は8畳と6畳の二間連続の座敷空間です。椅子とテーブルの使用を前提としており高い天井空間が広がります。天井は折上げ格天井2で覆われ、二つの間を繋ぐ欄間にはまるでこの広い空間を羽ばたくかのように優雅で立派な孔雀がのびのびと彫り込まれています。また、接客を徹底的に意識したこの座敷には、“見た目の接客”だけではなく、“舞台裏の接客“を意識した工夫もなされています。客人用と、使用人用と別々に設けられた階段、客人の汚物処理を下階から行う工夫、など心使いが随所に垣間見ることができます。動線に着目すれば、客人の主なアプローチとなる渡り廊下3にも細やかな気配りを感じる事ができます。一見何気ない廊下ですが視線をうまくコントロールすることで3階建て座敷に対する興味を自然とかき立てるよう造られているように見受けられます。庭・都市計画などにも用いられる手法でもあります(シークエンス)。玄関を入り、息を飲むような庭を横目に敢えて庭側に障子を施し、光を間接的に渡り廊下に取り入れています。あえて巾を狭くした廊下の先にはゆるやかな階段が目に留まります。このように視線を利用し、客人の好奇心を活気立て心理的な部分をコントロールしていたとも考えられます。

1 鎖で操作していた上下可動式戸袋 2 漆が施された格子材と孔雀が舞う欄間 3 本宅と三階建座敷をつなぐ渡り廊下 とも考えられます。 明治末期、12 メートルもあるこの立派な座敷は地域のランドマークとして町人に愛されていたと察します。ここに興味深い写真を最後に紹介しておきます。4客間、床脇の地袋天板です。何気ないこの天板、戸を開けたその裏側には作者の名前が刻まれています。「明治参拾九年八月 漆器職 高木鐵五郎作」割と最近になって発見されたというこのサイン、ここにこの建物がいかに多くの人に愛されていたのかが分かる気がします。恐らく建築工事は困難を極めたでしょう。しかし、この一世一代の大工事に関わる事ができた職人の誇りと喜び、これを目立たないように朱色で書かれたサインから察することができました。末永く大切に保存・運用される事を祈ります。

【会報誌きのくにH23年7月号掲載】

情報・出版委員 東端秀典

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