橋本市立高野口小学校
橋本市立高野口小学校
この建物は、昭和12年に木造平屋で建てられたものであり、近年、改修か建て替えかで揺れた建物である。高野口町時代の平成15年(当時の町長は本会副会長の辻本仁至氏)に改修と決定し町指定文化財に指定しながら、橋本市との合併後再び改修か建て替えかで揺れ紆余曲折の末改修と決定し、平成21年にやっと着工にこぎつけ、今年3月に工事完了したものである。
もともとの高野口小学校の建築物としての価値については既に多方面で言及されているところであるが、昭和12年建築の大規模な木造建築物であり今回の大改修を施されるまで大きな改変が無く70年余り使い続けられたという事実を示すだけでも、構造的にも、意匠的にも、機能的にも優れたものであることがわかる。
この小学校の空間的特徴は、完全なフィンガープランでフィンガーの付け根が正面玄関を含む管理部門、各フィンガーが北側片廊下の教室という明快な構成であるとともに、各フィンガーからは中庭を通して隣のフィンガーが見え非常に開放的でもある。今回の改修は、居住性の向上のためとともに後世に今回の改修部分がよく分かるように現代の材料を使うという文化財の改修で使われる手法が使われており、この点については単なる見学者からは賛否のあるところであろうが、これはこれからこの小学校を使っていく人の意見を待ちたい。
また、これだけの小学校を当時の高野口町が建てたということは、この地域の繁栄ぶりがうかがえる。高野口町は高野山への参拝の起点として古くから栄えた町である。さらに、最盛期には日本全国のパイル織物の80%を生産し、 新幹線の座席は全て「MADE IN KOUYAGUCHI」であったといわれるパイル織物産業が盛んになっていく途上の時期に小学校が建てられたのである。
単なる私の意見であるが、古い建物の残し方として一番良いのは最初に建てられた用途で大きな改変を加えずに使い続けられることだと思う。この変化の激しい時代に当初の用途であり続けることは容易なことではない。次に用途が変わってもその建物の雰囲気を壊さずに使われることである。3番目に建物を残すことを目的とした博物館的利用がある。最後にファサードだけのような一部を残して建て替えがくる。番外として、建て替えの際に古い建物の何かを継承したデザインを採用することがある。しかし、これらは必ずしも優劣を言っているのではなく、現実の建物と向き合って世の中の要求と折り合いをつけていくものであるように思われる。要するに、その建物のステークホルダー(直接・間接的な利害関係を有する者)による議論が大切である。その点、高野口小学校はステークホルダーによる十分な議論がなされたことは結果として非常に良かったのではないだろうか。
最後に、この改修に終始携わられた和歌山大学の本多教授の大変な努力に敬意を表し、本稿を閉じる。
【会報誌きのくにH23年8月号掲載】
情報・出版委員 中西 達彦