北海道大学和歌山研究林本館
北海道大学和歌山研究林本館
■ 昭和2年(1927年)
■ 設計・施工 北海道帝国大学営繕課
■ 構造 木造2階建て
紀伊半島南部、白浜と新宮のちょうど中央部分に古座川町平井という集落がある。周囲を山々に囲まれた農村地帯。眼下には澄み切った水が流れる平井川、まるで桃源郷のような場所である。和歌山市内からおよそ3時間、いくつもの山を越えて辿りついた集落は道に沿うように古い民家が建ち並ぶ。いずれも木造の平屋であたかもタイムスリップしたかのような光景である。そんな集落の中、少し高台になった場所にやや周囲とは違うとんがり屋根の建物がうかがえた。そう、それが今回紹介する北海道大学和歌山研究林本館である。
完成したのは昭和2年。いわゆる国立大学が未だ帝国大学と呼ばれていた時代の頃である。大正14年、暖帯林の研究・実践の必要からおよそ427㌶の広さの山を購入し今日までその歴史は続く。研究林での教育の中心は実地演習となるため学生、職員の寄宿施設として計画されたものである。北海道大学北方生物圏フィールド科学センターの所有する研究林は日本で一番広くまた歴史も古い。北大のキャンパスといえば同じく広大な敷地で有名ではあるが本施設のような切妻屋根の建物は本学にも現存しておらず非常に貴重な建物である。
建物の特徴としてはまず、積雪を配慮したと思われるしつらえが挙げられる。勾配のきつい屋根、玄関上部の鎖で頑丈に補強された庇、基礎の高さ等々。平井地区での積雪は殆どないものの設計者たちは北海道地域特有の意匠を施すことで遠く離れた本学を創造していのかもしれない。本建物は2階建て部分と平屋部分とからなり正面の2階建てが主に学生の寝室や研究室として利用されていた。そして奥の平屋部分に和室の教官室がありそれらを繋ぐ廊下に沿って炊事室や水回りが納められていた。現在は改修が行われ部屋の用途やしつらえ当時とは変わったものの建物そのものの持つ雰囲気はおそらく建設当初と違わないように思われ。青焼きの図面もきちんと保管されており当時の設計を知る上では貴重な資料である。
古くから歴代学長は必ず一度はこの地を訪れ職員や地域のみなさんとの交流を大切にしているという。現在ほど交通の便がよくなかった当時は平井川の筏(いかだ)を利用して串本まで出ていたという。学長が来る日には村のメインロードに赤い絨毯を敷いての歓迎であったとのこと。
今回、特別に屋根の上にある観測スペースに上らせていただいた。急勾配を体感しつつ周囲を見渡せば遠くまで続く山々。周囲の民家の軒先にはつるし柿。おそらくこの集落の情景もそんなに変化してはいないのではないかと察する。しかし、ひとつだけ大きく変化したのは社会情勢である。林業も海外からの輸入品などとの価格競争により衰退著しく、多くの問題を抱えている。そんな中、科学センターでの試みは興味深く、山を守り育てる、そしてその木材をいかに流用していくか、そんな大きな課題にも取り組んでいるようだ。昭和初期にこの地で研究を志した意思を受け継ぎ、今後の林業のためにもこの施設をいつまでも大切に利用してもらいたいと切に願います。
【会報誌きのくにH25年2月号掲載】
情報・出版委員 東端秀典