南海高野線 極楽橋駅舎
極楽橋駅舎
■ 昭和4年(1924年)
■ 構造 木造二階建
秘境駅と呼ばれる理由(わけ)がよく分かる。周囲は深い山々に囲まれ、眼下には川が流れる。どこか桃源郷に訪れたかのようなそんな気分になる駅舎である。
本駅は南海高野線の終着駅であるとともにケーブルカーへの乗継駅として古くから栄え、高野山へ向かう唯一の鉄道移動手段の拠点としてその歴史は古い。昭和4年、高野線の開業に次いで翌年ケーブルカーへの乗継拠点が開設される。建物は大きく分けて4つ。1・2番線のプラットホームと駅舎、橋上建物、ケーブルカー乗継駅。訪れる殆どの人が列車からケーブルカーへと乗り継ぐ動線を取ることから改札口の利用は少なく最小限のスペースでまとめられている。プラットホームとケーブルカーの乗り場がLの字に配置されその交点に駅長室と前述の改札口がある。プラットホームへのアプローチが線路と平行しているために駅舎としての印象が非常に強い。と同時に、このような秘境に近代的な列車が並ぶ風景も非常に珍しい。
建築としても優れた意匠を持ち合わせており、その雰囲気は竣工当時の風情を今もなお伝えている。恐らく竣工から大きな改修などを施していないと思われる。渡り廊下の躯体はコンクリートであるが上屋は木造できれいなトラスが組まれおり、軒先から降りる格子の垂壁の意匠も実に繊細である。アーチ状になった川を渡るコンクリートの躯体も和風建築を彷彿させる工夫が見え、本駅に対する思い入れの強さを感じる。切妻の屋根に木製建具が規則正しく並び、古き良き建築のお手本のようである。ケーブルカーの乗り継ぎ場は木製腰張りの壁にアールデコ風のモダンな飾り窓。天井は格天井で組まれ手の込んだ駅舎であることがうかがえる。駅舎という用途から一切の無駄を省き、必要最小限の意匠を施した本建築は実にすばらしく、これまで訪れた近代建築の中でも印象深いものとなった。
渡り廊下から眼下に目を配れば駅名の由来ともなった朱色に塗られた極楽橋が見える。この橋を渡って「不動坂」を登り、高野山上の「女人堂」に出ることで、高野詣りの風情を楽しむ人も多いとか。いつからか文明が進化しケーブルカーで詣でをするようになったのだが高野詣での重要な拠点であることには違いなくこれまで通り多くの人を高野山へ運び続けるであろう。取材当日、渡り廊下に多くの風鈴がかけられ川上を抜ける涼しい風に揺られて心地よい音色を奏でていた。趣のある建物、風鈴、自然、まるでタイムスリップしたような雰囲気に包まれた極楽橋駅。またひとつすばらしい建築に出会うことができました。
【会報誌きのくにH25年9月号掲載】
情報・出版委員 東端秀典