和歌山県庁本館(1) 

和歌山県庁本館(1)その歴史と県庁を造った人たち

■所在和歌山市小松原通1丁目1番地
■着工昭和 11(1936) 9 14
■竣工昭和 13(1938) 3 31
■設計基本計画:松田茂樹

設計:増田八郎

構造設計:坪井善勝

監修:内田祥三

■施工清水組(現在の清水建設(株))
■構造規模鉄筋コンクリート造一部鉄骨鉄筋コンクリート造 4 階建一部地下 1
■延べ床面積 10,344.58 (竣工時本館のみ)

和歌山新報に連載してまいりました和歌山県庁の魅力を紹介する記事が「和歌山県庁本館歴史と文化のラビリンス」として本会から出版されました。出版にあたり、2回にわたり近代化遺産としての和歌山県庁本館をご紹介します。

syunkousiki_00061◇建設までの経過

現在の県庁本館は明治維新以降3代目の県庁舎になります。初代、2代目の県庁舎は現在の西汀丁、商工会議所ビルの西側から現在取り壊しが進む経済センターの敷地にかけて建っていました。初代は純洋風木造2階建、2代目は英国風ルネッサンス様式、木造2階建でした。

3代目県庁舎の基本計画をまとめたのは、藤岡長和知事と県出身の行政建築家松田茂樹技師でした。敷地の選択、鉄筋コンクリート造の採用、階数、規模、予算、意匠様式、設計者選定等庁舎の整備推進に影響を与える事項はすべてこの2人でまとめて県民、議会の了解を得て、事業が動き始めます。 竣工当時の和歌山県庁本館

◇監修は内田祥三氏、構造設計は坪井善勝

設計にあたり最初に決まったのが、東京帝国大学教授内田祥三博士の監修でした。内田氏は当時建築学会会長を勤め、鉄筋コンクリート造構造の第一人者でした。県が目指したのは、内田博士の参画により強度に優れた安全な建築物を造ることでした。構造設計は内田ゼミの大学院生だった坪井善勝氏が担当しました。坪井氏は戦後、東京代々木の国立屋内競技場の構造設計等で知られ、シェル構造の権威、構造デザイナーの先駆者で、のちに日本建築学会会長も勤めています。

◇意匠は国会議事堂をモデルに意匠設計は富山県庁の設計を行った増田八郎氏が担kinokuni12当しました。富山県庁は国会議事堂の設計を担当した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦氏の意匠デザインを基に増田氏が設計した作品で、一般には大熊氏の設計と言われています。大熊氏は国会議事堂のデザインを基に地方の行政の拠点となる県庁のモデル施設として富山県庁を設計したとされていることから、和歌山県庁も国会議事堂をモデルとしたデザインが採用されていると考えられています。(実際、富山県庁と和歌山県庁の意匠はとてもよく似ています。)和歌山県庁本館は大熊喜邦氏の国会議事堂のデザインと、内田祥三氏の鉄筋コンクリート造構造の技術、いずれも最先端の技術が組み合わされた和歌山県を代表する建築物といえます。

【会報誌きのくにH24年6月号掲載】

和歌山市支部 明石 和也
和歌山県庁本館正面(撮影/長岡浩司)

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