山本勝之助商店
山本勝之助商店
主屋 構造:瓦葺木造平屋一部3階建 建築年:江戸末期/明治39年(1906)年増築
店舗 構造:瓦葺木造2階建 建築年:大正中期
店蔵 構造:瓦葺土蔵造2階建 建築年:大正前期~中期(店蔵一、二、三共)
内蔵 構造:瓦葺土蔵造2階建 建築年:大正12(1923)年(内蔵二)、大正中期(内蔵二)
隠居所 構造:瓦葺木造平屋建 建築年:昭和12(1937)年
門 構造:間口1.2m瓦葺木造
石壁 構造:延長18m石造 共に明治39年(1906)年
海南市から国道370号線を東(紀美野町方面)へ向かう途中、少し道幅が狭くなったと思うと歴史ある和風建物が並ぶ街並みがあります。その街並みの中に、青石が積まれた美しい石塀が印象深い山本勝之助商店建っています。国道の南側には店蔵が2棟、北側に主屋、店舗、店蔵が建ち並び、内蔵が2棟、さらに北には離れて隠居所が建っています。隠居所より北側はもう、野上電鉄の線路跡(今は遊歩道になっている)となります。
主屋は江戸末期に建てられたと思われる平屋と東側の3階建てからなります。平屋部分は西側の店舗とも土間でつながる居室部分と見られるのに対し、東側は明治39年に増築されたとされる座敷になっています。座敷外周廊下のガラス戸には波打った建築当初からのガラスが使われており、その先に手入れされた中庭が見えます。この中庭を囲う塀が国道沿いの青石の塀で、国の有形文化財に登録されています。
玄関土間から右に上がった部屋には「かねいち」というロゴが入った提灯箱が6箱長押の上に並んでいます。いざ火事だ、という大変な時に持ち出す提灯とろうそくが入っている箱です。「かねいち」とは山本勝之助商店の商号で、ろうそくの製造卸業を営んでいた江戸時代から当家の屋号として使われてたそうです。「かね」は大工道具の曲尺(かねざし)を形どり、角度を正し、まっすぐに筋を通すという店の器を表し、「一」には、処世の心得として正直をモットーとして、人の道をふみ行うことを第一とせよ、という商売の姿勢が込められているそうです。内蔵の壁や丸瓦にもかねいちのロゴを見かけることができます。
山本勝之助氏は、木蝋製造業を継承するも傾きかけた事業の立て直すため、山椒や肉桂などの薬効に着目し薬種商への商売転換を行います。さらに野上地区で多く栽培されていた棕櫚(シュロ)に着目し、事業を拡大していきました。その中で実践した経営訓「手廻しせねば雨が降る」の言葉は、1箇所にとどまらず建物のあちこちで出会います。自然現象であって予期できない「雨」が降る日が常にあることを念頭に置き、日々計画を立てて段取りよく手廻しし、相手に対して迷惑と不信を招かぬよう心すること。商売に関してのみならず心したい言葉です。
多数の薬種を保管するための「百味箪笥」を始め引き出し家具がいくつかあり、襖やその引き手も多種類に及んでいたことに、一つ一つにこだわりが感じられました。中庭の景色を楽しみながら向かった座敷は、襖にとどまらず、欄間、屏風、座卓まで趣向をこらしたものでした。多彩な趣味を有し、特に浄瑠璃に深く興味があったといわれる、勝之助氏らしさが建物の細部に現れています。思わず「かわいい!」と言ってしまうほど斬新でユーモアある襖の柄は2階と3階にも見られました。3階は木製の雨戸を全て開けると、風が通りとても気持ち良い空間でした。ガラス戸がないので雨が降ると大変という大胆な造りではありますが、来客をもてなす最適の場所でもあったと思います。全方角を見渡すことができますが、母屋の平屋部分と店舗、店蔵の瓦屋根が連続して見える西側の景色が気に入りました。建築当時から景色が一番変わっていない方角なのではと感じたので、今後も変わらず在り続けて欲しいなと思います。
明治39年の座敷部分の増築以来、ほとんど改装していないようで当時の佇まいがあちこちに残っています。店舗西の店蔵はその天井の高さに驚くと同時に梁や柱に書かれ残っている昔のメモから、活気に満ちていた様子が伺えます。様々なサイズの棕櫚ほうきが並び、山椒の香りが漂う店舗部分も当時と変わらないであろう温もりがあふれています。丁度石臼で山椒を引く様子を見せていただきました。最近ではテレビ番組でも紹介され、機内食にも使われるほど有名でな品ですが、当時からの技法で生み出される製品に手仕事のぬくもりが感じられます。、棕櫚から生まれる道具類も日本の伝統的な良品として見直されています。地元和歌山で生まれている製品が日本全国や海外へ飛躍し愛されていくことをとても誇りに思います。「かねいち」の商号の意味のように正直にまっすぐに、また「手廻しせねば雨が降る」を心に相手への配慮を忘れない大切さを、この建物を通じて教えていただきました。
【会報誌きのくにH24年10月号掲載】
情報・出版委員 三木早也佳