旧和歌山無尽(和歌山市)

和歌山無尽

この建物の取材にあたって、「無尽」という名が付くこの建物の、無尽とは一体何なのか?

DSC03399 正直私は全く知らず言葉や漢字からでは検討がつかないため、まず言葉の意味を調べることからはじめることになる。無尽とは、金銭の融通を目的とする民間互助組織。身近な仲間内の助け合いの制度として鎌倉時代に始まり、江戸時代に流行。明治時代には大規模で営業を目的とした無尽業者が発生し、悪質な業者が現れてきたため、1915 年に旧・無尽業法が制定され、免許制となり、悪質業者は排除されていった。

 和歌山無尽の設立は1921 年(大正10 年)、旧・無尽業法が制定されて数年後の頃のことDSC03371である。この建物は会社設立から4 年後の1925 年(現在より85 年前)に無尽会社「和歌山無尽」の本店として建築される。

建築地は新通商店街の北方、東ぶらくり丁と交わる辺りの一角に位置し、現在は商業ビルや個人商店、マンションや戸建住宅まで混在している場所である。戦後、多くの無尽会社と同じく相互銀行へ転換(和歌山相互銀行和歌山本店)、相互銀行から普通銀行へと変わり、4 年前の紀陽銀行との合併に伴い銀行の看板を下ろすまで幾度と名前を変え使用されるものの、和歌山の金融の要として存在し続けていた歴史がある。この建物は、設計者、施工者とも不明であるが、1945 年7 月9 日の和歌山大空襲で、和歌山城など焼夷弾や油脂弾を落とされた市内の六割以上が廃墟と化したにもかかわらず、焼け残った数少ない建築物として有名である。

DSC03395 構造は鉄筋コンクリート造の2階建。化粧レンガが貼られた外観の腰の部分にはコンクリートの洗い出しで石積み風に仕上げられている。1 階と2 階の間に3つの菱形が重なったマーク(意味は不明)のコンクリートの装飾があり、正面入り口の2 階を見上げると、レンガがアーチ状に回り、印象強い3 連窓がある。興味深く見ると窓の上部には真ん中にカップ、その左右に葡萄と葉の装飾になっている。カップ左右の葡萄が見事に対称であると同時に3窓とも彫深いため陰影が美しい装飾である。葡萄には、房にたくさんの実をみのらせるため豊穣や繁栄の意味があるという。多くの商業に係る金融業としての繁栄を装飾に込めたのだろう。内部1階、銀行の営業カウンターから延びる白い円柱をたどると天井の高さを改めて感じることができる。ATM の機械に向かって入出金する現代と違って、この場であらゆるやりとりがなされたのだろうと想像が膨らむ。執務室の後方には当時からの耐火金庫が並び、丁番や取手など細かなところにも重厚な風格がある。地下の金庫も扉の厚み、重み、それに附随する枠、取手、丁番もすべてが重厚で、頑丈であった。奥の階段を上った2階には、かつて会議室、総務室として使われていたIMG_8610部屋があり、建具や間仕切りなど、現在までの間で改修し使用されてきたと思われるが、時代が止まっているような雰囲気が残る。

 和歌山市に戦前から残る銀行建築としては唯一の建物であるという。銀行らしい重厚感と風格を持ち、戦時下ではほぼ壊滅状態にあった中心部に位置しながらも免れた強運に恵まれたこの建物は、今後どのような形でこれからの時代に存在していくのか注目したい。

 

【会報誌きのくにH22年12月号掲載】

出版・情報委員 三木早也佳

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