湯浅小学校講堂

湯浅小学校講堂

 

■所在地:和歌山県有田郡湯浅町 ■完成年:昭和11年(1936)DSC03873
■設計:不明・施工:原庄組 ■構造等:鉄骨造(和歌山県近代化遺産 参考)

   私が初めて湯浅小学校講堂を訪れたのは、一昨年前の秋に行われた近畿建築祭の時でした。近畿各地からの建築士の方々に参加いただき、講演を行った式典会場となっていた講堂なので、記憶に残っている方も多いと思います。その時から約一年半経ち、今回の取材で2度目の訪問になりますが、昨年耐震補強や改修が行われ、とても美しくなっていました。
切妻の大屋根、正面の玄関には三連アーチのポーチ、側壁の等間隔に現れた柱型がリズミカルな凹凸となっています。横羽目板張りで板と板の境目は細い板で覆った出目地とした木質仕上げが、戦前の学校建築のという感じがしまた。   入口正面と側面の対比を楽しみながら周囲を歩いて見てまわり、建築面積978m2という大きさを体感しました。内部の玄関ホールは、靴を履き替えながら通ると目の前に、間口23m、奥行36mの大空間が現れます。柱の無いこともDSC03874手伝ってか、中央は高く水平で左右に斜めに緩やかに折れる舟底天井によって、正面の舞台へ誘われる感じがします。側面は柱間に格子桟のある窓や出入口扉が左右対称に並び、光が取り込まれています。

桁行方向はラーメン構造、組立柱とトラス形式の軒梁および柱脚つなぎ梁で構成される。張間方向もラーメン構造で、プレート形式の組立柱とトラス梁からなるフレームと、ラチス形式の組立柱とH形鋼梁からなるフレームが交互に配置されている。各部材の接合は全てリベットである。(和歌山県近代化遺産より抜粋)

yuasajhみんなの集まる大講堂が欲しいという児童・生徒の願いは一銭貯金が行われるまでになり、町も動き、竣工された昭和11年当時、県下一といわれる程の広大な鉄骨構造になったといいます。後に有田市の保田小学校や、下津小学校など、この講堂に影響を受けた小型の講堂があるが、現存するものはなく淋しく思います。この講堂の竣工を喜び、誇りに思った少年の一人であった垣内貞氏(湯浅町教育長)にエピソードを聞かせていただきました。戦中は軍人の宿舎となり、時には慰霊祭としても使われたそうです。戦争が終わり、時代が落ち着くと公会堂として、演劇や大相撲などを行い町民の楽しみの場と変身し、現在は体育館としての役目も果たす講堂となりました。

町のみなさんの誇りは、貴重な国民的財産として、登録有形文化財の指定を受けました。これからの時代も、立派に保存活用されていくだろうと強く感じました。

【会報誌きのくにH23年5月号掲載】

情報・出版委員 三木 早也佳

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