『Nipponia Hotel 高野山参詣鉄道』(高野下駅舎) 

『Nipponia Hotel 高野山参詣鉄道』(高野下駅舎)

■竣工 2019年

■構造 木造平屋建

■所在地 伊都郡九度山町椎出8-1

■改修設計  有限会社  才本建築事務所

■改修工事:南海不動産株式会社

■改修面積 61㎡

今回は、恒例の高野山参詣道特集です。高野山参詣の交通手段、南海高野線の駅舎を宿泊施設に再活用した事例をご紹介致します。

かつて堺から西高野街道に沿って高野山を目指し、高野鉄道株式会社が1896年に設立されました。北向きには1900年に道頓堀駅(現在の汐見橋駅)まで延伸し、南向きは1915年に橋本駅までを開通、1922年に南海鉄道と合併し、高野下駅間は1925年(大正14年)に開通しました。路線延長を図る中、日清戦争後の不況があり、買収合併や分離独立を繰り返した経緯があります。

当時の高野山参詣ルートはJR和歌山線高野口駅からの徒歩であり、その高野口は葛城館を代表とする宿場町でもありました。そして南海電鉄高野下駅まで延伸してからは、高野下駅からの徒歩となり、椎出地区も宿場町とし賑わいました。その名残を復活させ、エリア再活性を図るため、2019年に駅舎を宿泊施設に改修しました。

駅舎は前述の通り終着駅であった為、駅係員の宿直室や乗務員の待機室がありましたが、今では無人駅となり使用されていませんでした。その空間を大正14年築の木造駅舎の趣を残したまま2室のホテルにリノベーションしました。1室目の「高野」は44㎡と広々とした空間はダブルベッド2台の4人部屋となっており、駅係員の宿直室のあったスペースをリフォームし、当時のままの柱や扉など新旧を織り込んだ落ち着きと格式を味わえます。2室目の「天空」は乗務員の待機スペースをリフォームし、17㎡のコンパクトな空間にダブルベッド1台の2人部屋に改修しています。ホテルのコンセプトは「レトロな駅舎ホテルで鉄道を満喫する非日常な時間を」「駅舎ホテルで高野山の旅をもっと“特別な体験”に」であり引退した電車からパーツを取り出し、車両の椅子・網棚・吊皮・中吊広告・TEL・車両プレートが再利用されています。さらに、運転席の速度計・WCは車両扉・ベッドサイドテーブルは運転手の椅子が設置されています。浴室は桧板、寝室は杉板に漆喰壁、開口部には特急こうや同色の赤いカーテンが付けられレトロな内装で大正ロマン感が醸し出されています。

建築基準法 第2条1項一号 建築物 土地に定着する工作物のうち,屋根及び柱<~省略~>これらに類する施設(鉄道及び軌道の線路敷地内の運転保安に関する施設並びに跨線橋,プラットホームの上家,貯蔵槽その他これらに類する施設を除く。)

鉄道の駅の中にある建築物(建築基準法上では建築物ではない)は,鉄道事業法にて鉄道事業者が責任をもって設置・管理しており、建築基準法の範囲外です。駅の中や鉄道敷きにあるものは敷地範囲も設定困難で、接道要件が適用不可な場合もあり、建築基準法が適用しにくい面もあり適用除外なのだと考えます。当然ですが駅舎自体は建築物です。では、適用除外となる境目はご存じでしょうか?それは改札です。改札口を境界としたプラットホーム側と外側を「ラッチ内」「ラッチ外」として建築基準法上の建築物であるか否かとなります。

その改札を抜けるとまるで時が止まったかのような駅舎が。その壁面には、かつての駅の面影が色濃く残りながらも 新たな息吹が感じられるリノベーションが施されています。駅舎全体が歴史と現代の融合を感じさせる空間となっており、一歩足を踏み入れると、そこはクラシカルで快適な部屋で鉄道好きにはたまらない要素が随所に散りばめられている。窓からの眺めはまさに絶景で、電車が行き交う様子を見ながら 心地よい静寂が保たれており、鉄道の喧騒と静謐な時間が絶妙に交差するその瞬間は、旅心をくすぐる至福のひとときです。

【会報誌きのくにR7年2月号掲載】

情報・出版委員 辻本貴教

 

高野下駅舎ホテル 『Nipponia Hotel 高野山参詣鉄道 Koyasan Pilgrimage Railway』

〒648-0141 和歌山県伊都郡九度山町椎出8-1

 

改修設計  有限会社  才本建築事務所     改修工事:南海不動産株式会社

 

2009年(平成21年)

紀伊清水駅、学文路駅、九度山駅、高野下駅、下古沢駅、上古沢駅、紀伊細川駅、紀伊神谷駅、極楽橋駅、高野山駅、紀ノ川橋梁、丹生川橋梁、鋼索線が近代化産業遺産(高野山参詣関連遺産)に認定

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