南方熊楠記念館 本館(旧館)
建物概要 本館(既存部分)
■構 造 鉄筋コンクリート造 2階建て
■建築面積 248.29㎡
■延床面積 513.60㎡
新築 耐震改修
■建築主 南方熊楠記念館設立発起人会 ■建築主 公益財団法人 南方熊楠記念館
■設 計 野生司建築設計事務所 ■設 計 株式会社 堀田設計
■施 工 株式会社 高西組 ■施 工 東宝建設株式会社
今回は、1965年(昭和40年)4月に開館した『南方熊楠記念館 本館』をご紹介します。
南方熊楠(1867-1941)は、博物学・植物学・民俗学などの分野で生涯を研究に没頭した世界的な在野の学者で、神社合祀に反対し地域の自然保護にも力を注いだエコロジーの先駆者であり、和歌山県を代表する偉人の一人です。
建設のきっかけは、昭和天皇の紀南行幸です。1962年(昭和37年)に昭和天皇が2度目の紀南行幸で、御宿の屋上から眺めた田辺湾に浮かぶ神島を見て、1929年(昭和4年)に熊楠と神島で会った当時を回想し、「雨にふける神島を見て紀伊の国の生みし 南方熊楠を思う」と御製をお詠みになり、翌年1月にご披露されたそうです。
この出来事で、熊楠の偉業を顕彰する施設建設の気運が高まり南方熊楠記念館設立発起人会が発足し、当時の和歌山県知事が会長となり、建設のため募った寄付で建てられました。
記念館は、熊楠の遺した偉大な業績と遺徳をしのびその文献、標本類、遺品類等を永久保存し、一般に公開すると共にこの業績を後世に伝え、学術振興と文化の発展を目的として運営されています。
建設場所は、神島や熊楠の過ごした田辺が一望できる吉野熊野国立公園の番所山公園山頂です。
番所山公園は南紀白浜を代表する景勝地の円月島などが眺望できる景観と緑豊かな自然環境が残っていて、かつて植物園として開園していたことから様々な種類の植物(特に熱帯系)を現在も楽しむことができます。
建物の外観は全体的に、モダニズム(機能的、合理的な造形理念に基づく建築様式)を基調としていますが、ファサード(正面)が特徴的で、2階腕木を正面に張り出して重量感のある1階庇を形成しています。また、2階上部の庇は丸みを帯びていて表面は細かな凹凸のある仕上げとなっています。更に両側の突き出した袖壁は厚みを抑えながら、緩やかな台形状の立面を形成しておりシンプルながらもデザイン性の高い意匠となっています。
内部は、玄関ホールに螺旋階段があり屋上まで繋がっています。鉄製の手摺りや見上げた時に見える不均質で味わいのある白い天井、それらが渦巻状に繋がって美しい意匠となっています。
階段を登りホールを経て2階展示室へとアクセスできます。この展示室は、かつての常設展示室(現在は、特別展などで利用されています。)で本館では最も広い空間だそうです。現在は新館と渡り廊下で繋がっています。
展示室の奥、建物の最背面には貴賓室があり、間口一杯(9m)の窓からは田辺湾や神島を見る事ができます。この貴賓室は皇族が来館された際に使用される部屋で、昭和天皇の来館は無かったようですが、多くの皇族が使用されたそうです。
一時休館した時期もあったそうですが、平成27年度から始まった開館50周年、熊楠没後75周年、生誕150周年事業を機とした新館の増築工事(詳細は、きのくに2022年10月号に掲載)及び本館の耐震改修工事を経て2017年(平成29年)3月にリニューアルオープンしました。
2019年(令和元年)12月には、1960年代の時代を物語る建物として、白浜町では初めての登録有形文化財に登録されました。また、戦後に建築家の関わった建造物としても和歌山県では初の登録有形文化財だそうです。
熊楠の業績はもちろんですが、文化財登録された本館も文化の発展に寄与しているように感じます。人々の想いによって建てられたこの施設の運営が新館と共に永く続いていくことを願います。
【会報誌きのくにR4年11月号掲載】
情報・出版委員 中島大介