和歌山市立松下体育館

和歌山市立松下体育館

 

設計 鹿島建設株式会社 坂田忠之助

施工 主体工事 鹿島建設株式会社

給排水・機械設備 小向商会

換気設備 日本熱学工業株式会社

電気設備 近畿電気工事株式会社

竣工 1970年(昭和45年)

構造 鉄骨・RC造2階建

建築面積 2145㎡

 

100号を超える公共建築の取材の中でまた素敵な建築に出会うことができました。黒潮国体と呼ばれた第26回国民体育大会の開催を和歌山県で実施するにあたり計画された体育館の一つです。呼び名の通り、これは松下幸之助の寄贈による和歌山市にある三つの建築物のうちの1つでもあります。

 

高津子山の北側、大浦街道を南に進み雑賀崎に向かう道に別れる分岐点に敷地は位置します。敷地は三角形であり本建築は正方形です。建物を45°に配置するという難しい計画のように見えますが、このことにより生まれる余剰空間を上手く活用し屋外と屋内の関係性を立派に成立させています。また、正方形の平面に中に長方形の競技スペースを確保し両端に残った三角形の空間をトイレや設備コアとして上手く利用しています。屋根組は中央の競技スペースと呼応し、中心になるほど天井高が高くなります。L型アングルを合わせたトラス構造で2重に屋根が絡むダイナミックな空間です。南面に舞台、北面にアリーナを配備したプランは想像以上に広く感じます。

建物は基壇となるコンクリート部分が斜めに伸び、その上に三角形の二つの屋根が重なります。その基壇部分のコンクリートが北面に向かって空に伸び、特徴的なファサードを生み出しています。運動施設としてふさわしい躍動感に満ちた建築であります。無駄な装飾を排除し、素材をそのまま無骨にも表した本建築にはブルータリズムの思潮も垣間見ることができます。

 

細かな部分の設計も秀逸です。南面の外部にある駐輪場は一本のパイプを曲げてフレームを作り、その中を細い丸鋼がトラスを組んで強度を担保しています。既製品がそんなに流通していなかった時代の象徴的な建築家の手仕事を感じる場所です。合わせて注目したいのが道路から見える施設名が彫り込まれたモニュメントです。普通のコンクリートのヴォリュームを地面から持ち上げているのですがその脚部がアシンメトリーになっており、正にモダニズムの意匠を痛切に感じる部分でもありました。前述の外部との内部と外部の関係を上手く構築するにも深い持ち出しされた庇が大きな役割を果たします。

 

一連の松下幸之助建築では設計者も予め選定されていたと聞きます。紀伊風土記の丘は浦辺鎮太郎、松下会館は渡辺節。よって、本建築も近代建築を彩ったスター建築家の作品かと思いきや、鹿島建設設計部による設計でした。貴重な青焼図面を拝見すると坂田忠之助とありました。長い歴史の中でその名前は聞いたことがありませんでしたが調べてみると1960年代に丹下健三や黒川紀章らと肩を並べて論壇に登壇していたようです。おそらく、鹿島建設設計部をKAJIMA DESIGNにまで引き上げた貴重な人物ではないだろうかと察します。引き続き坂田忠之助については調べたいと思います。

 

このような貴重な建築物が今もなお現役で利用されていることに敬意を表します。管理者である和歌山市のメンテナンスの賜であると思います。取材当日も床にワックスをかけてメンテナンス作業が丁寧に行われていました。取材途中、偶然ご近所の方から話を聞きました。この体育館が出来た際、近代的な建物ができたと心が躍ったそうです。こけら落としが日米バスケットボールの試合で当時、住金に所属していた岡山選手という大きな身長の選手を見たのが脳裏によぎるそうです。

 

地域に愛され、スポーツ選手にも愛される松下体育館。いつまでも利用されることを祈ります。

【会報誌きのくにR6年7月号掲載】

情報・出版委員会 東端秀典

 

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