日本基督教団・倉敷教会
日本基督教団 倉敷教会
この倉敷教会の歴史は古く、1878年(明治11年)に倉敷に初めてキリスト教が伝えられそれから約30年後正式に教会が設立された。当初、礼拝堂は大原美術館の近くにあったが1922年(大正11年)に西村の手によって設計が着手され1924年に完成している。
3層にわたる本建築ではアプローチ部分から石を使った巧みな動線が施され、訪れた者を導くように2階部分の礼拝堂へスロープが延びる。外壁・スロープ・床材ともこの石材によって統一されており、南にある釣鐘堂の部分は街のランドマークと言っても過言ではないであろう。スロープの上がりきったエントランスはステンドグラスに彩られた重厚なアーチ状の扉が備えられ、<礼拝堂の扉>=<緊張空間への導入>という意識が垣間見られる。
礼拝堂は高い天井が広がり梁などの構造材がむき出しである。これら黒色系で統一された構造材や床材と対比するように、正面には白く塗られた開口部と同じ形状を持つアーチ型講壇が配置され、白い講壇と黒い床・天井といった具合に色彩のコントラストが心地よい。講壇側壁には円形のステンドグラスが配置され、このステンドグラスを通して落ちる色とりどりの太陽の光は、この明確な構成の教会に暖かな光をより豊かに与え、訪れた信者に適度な緊張と和らぎを与えているのであろう。
内部をもう少し細かく見てみれば西村作品の特徴の一つである細部への配慮がよく分かる。階段では手すり、手すり子に至るまで木材に彫刻が施されておりそれらは建設当初からのものであると推測される。また、この教会では礼拝堂の天井も特徴の一つであろう。急勾配の屋根材の流れを支持する構造体が美しく配置されている。後に補強された部材同士をつなぐ鋼材も西村の意匠を損なうことなくデザインされ、あたかも同じ時間を経てきたかのように思われる。
倉敷駅前の商店街のすぐそばに立地するこの教会は1923年(大正12年)に建設され86年という年月を経てもなお人々に愛され続ける建物である。日本的な古い町並みの残る倉敷の市街地においても周囲の風景と見事に融合しているのは長い年月をともに歩んできたからだろう。和歌山の偉大なる建築家の功績を遠方の地、倉敷において再発見できたことは和歌山県民として誇りである。そこには建築家としての西村の偉業は元より、文化人として多くの人脈を持った氏の業績が感じ取られる。
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所在地 岡山県倉敷市鶴形1丁目5−15
情報・出版委員 東端 秀典